法師の得る功徳の八百と千二百の量の違いについて 【法師功徳品第十九】その2

  • 2015.05.19 Tuesday
  • 20:51
JUGEMテーマ:こころ

                                    
法師功徳品には法師の得る六根清淨の功徳として、                       

眼・鼻・身の功徳は八百
耳・舌・意の功徳は千二百
の功徳を得るとあります。
                                   
この功徳量の八百と千二百の違いは何のためにあるのでしょうか?
なお、この法師の六根清淨の功徳とは新たに特別な修行して与えられるというよりも、善男子・善女人が父母所生の生まれつき持って生まれてきた、元々ある清淨功徳だそうです。
                                        
そして、その持って生まれてきたこの世とは欲界である三界、即ち地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上の六道という欲望の渦巻く世界なのです。
その六道世界としてのこの世に対し六根清淨の功徳を持って生まれてくる者たちが法師ということです。
                                            
この品の経文の中には、三千大千世界の内外のあらゆる所、即ち、下は阿鼻地獄に至り、上は有頂天に至る世界のことをことごとく知ることが出来るのが法師の功徳であると示されています。
この、下は阿鼻地獄に至り、上は有頂天に至る世界とは、いわば、下は地獄界の最底辺、そして上は天上界の最頂点までの六道世界であるこの三界の世のことを言っているのです。
 
そこで本題である法師の六根に備わった八百と千二百の功徳の違いのことなのですが、
八百と千二百の比率は、約6.6:10になるのです。
この6.6をたとえば十界に対する六道、即ち六界と考えてみれば、千二百の功徳は佛世界までの十界すべての功徳ではないかと感づかれるのではないでしょうか?
 
しかしその場合、たとえば耳の功徳である千二百の功徳もまた、三千大千世界の下は阿鼻地獄に至り、上は有頂天に至ると同様に六道世界の範囲のようにも思えるのです。
しかし、この世へ生まれてきている限りは六道の範囲に暮らしているということになるのでしょうし、その六道世界の中に居ても、耳・舌(説法)・意(こころ)は天上界より更に上にある声聞・縁覚・菩薩・佛の世界のことまでを知ることが十分出来るということではないのでしょうか。
 
それでは、なぜに眼・鼻・身の八百の功徳は六道止まりなのかといえば、それは更なる仏道修行をこの世でこなしてこそ、その修行次第で菩薩や佛の姿がようやく見えてきたり、鼻・身体も徐々に菩薩や佛に近づいていくという特典としての大きな功徳が後から生じてくるということなのかもしれませんね。
 
うそも方便とよく言いますが、つまりはこの世の、うそ八百も「更なる精進」ということですね!
 
第2-19日 Vol.47  父母所生の清淨の肉眼 【法師功徳品第十九】(五行〜八行)
 
法師功徳品第十九
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