『佛には如來であってほしくない声聞大弟子たちの願い』  信解品第四その12

  • 2015.04.04 Saturday
  • 23:57
信解品第四

何と、佛と如來の違いがあったことを今日は知り始めることができました。
それが長年間一番近く釈迦と接してきた大弟子の作り上げた巧妙な譬諭から知るとはとても恵まれたラッキーな気持ちです。
                                          
そこで、大弟子たちはこの譬諭に登場する長者の判断や行動のシナリオは、実際の佛の立場を当てはめて作ったものであることが後でわかるのですが、そこで佛とは、たとえば神や如來が衆生の不遇な状況を知ってもしばらくは何もせずただ様子を見ているだけとは違い、すぐにも方便を使ってでも何らかの救済手段を講じずにはいられない深い慈悲を持っているものと考えて良いみたいですね。
                                         
つまり、それが佛と如來の根本的な違いであったとはまったく今まで気づきませんでした。
ところで、この大弟子の作った長者窮子の譬諭の内容の中身は、どうも大弟子の真実不確定な、それも二重な要素が巧妙に同時に含まれているように以前から思えてならなかったのです。
それは、大弟子は後でこの長者窮子の譬諭の長者は如來で、窮子は佛子たる大弟子たちであると言っているのですが、長者を佛ではなく如來だと言っているあたりに曖昧な二重な意味に混合されているように思えるのです。
                                        
この大弟子たちの修行の曖昧さは、今後どのように理解していけば良いのでしょうか?
釈迦はどういう意味でこの四大弟子を重点的に選んで指導を施してきたのでしょう?
それは、大弟子の彼らにとって声聞とはどういう間違いがあったのか、それを自らに損失を味わうことで認めることなのか、それともただ声聞の殻を無暗にも脱ぎ捨てて、菩薩道だけを一心にすぐにも突き進めばよいのか、その答えとしては大弟子は前者を望み、釈迦は後者を命じているとすれば、この譬諭の長者と窮子はお互いが長らく前者であったが、共に再会すると否や途端に後者の道をお互いにすぐ歩み始めたということになるのではないかと思います。
 
  
⇒ リンクHPブログへ 第12-04日号 Vol.307  其の父、子を見て愍んで之を怪しむ  【信解品第四】その12 (五十三行〜五十八行)
信解品第四
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